戦後、京都久原邸は譲渡されることになり、服部文次郎は久原房之介さんの従弟、会社の監査役、藤田小太郎様の京都別邸(現在の洛翠)の管理を命じられました。京都藤田別邸での服部家(1947年)この写真撮影の直後、この屋敷は進駐軍高級将校の住居として「第一軍総指令官」と記された接収票が門に貼られて接収されました。第一軍総司令官がマッカーサーの階級の和訳と思われますが、あまり報道では見かけない呼称です。門は大きな扉の左に小さなくぐり戸があり、そのくぐり戸が服部家の入り口でした。門の内側は壁を隔てた、洋式と和式の部屋が同じ屋根の下に混在する構造の邸宅でした。同じ屋根の下で約1年毎に入れ替わるアメリカ軍の少佐級の人の家族と暮らしました。


PHOTO Left: HATTORI FAMILY AT The Residence in Kyoto of Mr. Kotaro FUJITA, cousin of Mr.Fusanosuke KUHARA,1947

右)服部文次郎(1869−1953)久原庄三郎、房之助 2代にわたる京都久原邸の執事。房之助さんの父、久原庄三郎さんが実弟である藤田組、藤田伝三郎さんに呼ばれ、萩から大阪へ来られ、京都に久原邸を建てられる頃(明治12年頃)以来、付き人となり、以後、京都久原邸にて庄三郎さんにお仕えし、藤田組の事業である琵琶湖疎水や蹴上発電所建設等の業務を支えました。
京都久原邸は房之助さんの時、外交接待の場でもあったのです。1918年7月3日英国のコンノート殿下を招待したGARDEN PARTYでは無数の蛍を庭に飛ばせたそうです。
左)服部綾子(1922-2016) 服部文次郎の孫。父、服部伊之助が、神戸久原邸内の諸設備担当技師を務めましたが、36才で病死したため京都久原邸内で文次郎に育てられました。 
前) 服部哲也(1946- ) 服部綾子の長男
Left AYAKO HATTORI(1922-2016)Dauter of Inosuke Hattori,Right BUNJIRO HATTORI(1869-1953)Butler of Kyoto Kuhara Residence, Front TETSUYA HATTORI(1946- )

写真右 「第一軍総指令官」と記された接収票が貼られた門の前にて、BROWN少佐の子GEORGEがアメリカへ帰る日のお別れ記念写真1949年1月23日
「第一軍総司令官」とはマッカーサー 以外にはありえないでしょう。最近米国で発見され,京都新聞に掲載された同じ京都 南禅寺、岡崎 (C)地区の軍曹が写した接収住宅の接収票の写真には「地区司令官」と記されております。
その理由は多分藤田別邸の所有者である藤田さんが東京在住である為のようです。しかしGHQではなく第一軍総司令官との表記は興味大です。
この写真で私がはいているズボンは明らかにGEORGEのお古です。当時日本ではこんな子供服は入手できず、みすぼらしい服ばかりでした。
当時は同じ屋根の下に住んでいてもアメリカ軍人にカメラを向けることは恐れ多く、父は子供に対してのみ私が並んだ時にカメラを向けて写したのです。
PHOTO RIGHT: At the gate with the requisition plate by" General Commander of First Army", American occupation Army.. The photo on the returning day to America with Maj. Brown's son George.23 Jan.,1949